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1865年6月、ミュンヘンにて楽劇〈トリスタンとイゾルデ〉が初演された。この長大な楽劇の初演3日目の観客の中には、ワーグナーが使う大胆な和音に魅せられ、管弦楽曲の作曲を本格的に開始していたブルックナーもいた。ブルックナーは1824年に現在のオーストリア、リンツ近郊のアンスフェルデンで生まれたオルガン奏者・作曲家である。幼少期から合唱やオルガンを学んだ彼は、1850年にアンスフェルデンのザンクト・フ……
楽劇『トリスタンとイゾルデ』は、ワーグナーがその初演に先立って第1幕への前奏曲と第3幕の終結部(愛の死)を連続して演奏したことから、「前奏曲と愛の死」は独立したオーケストラ作品として扱われており、現在でも重要なレパートリーの一つとなっている。作曲の経緯や音楽史上で果たした役割など、この楽劇にまつわる裏話は尽きないが、本稿では楽劇のあらすじと音楽を、前奏曲と愛の死に関連する内容を中心に紹介する。前奏……
オーストリアのヴェルター湖畔・ペルチャッハ滞在中に創られた本作は、明朗快活で伸びやかな曲想を有する。リヒター指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演され、多くの聴衆から絶賛された。ベートーヴェンの《交響曲第6番『田園』》に準えて、しばしば「ブラームスの田園交響曲」とも称されたほどである。ペルチャッハでは、《ヴァイオリン協奏曲》や《ヴァイオリンソナタ第1番》も生み出されており、ブラームス……
われわれはみな音楽を必要としている。音楽なしに生きてゆくことはできないのである。本作は1801年から1802年4月にかけて主に作曲されたと言われており、1803年4月5日にウィーンにて作曲者本人の指揮で初演された。重厚さの中に、希望に満ち溢れるような明るさを感じさせる本作だが、その作曲・初演は、ベートーヴェンが聴覚の急速な喪失という困難に直面し、懊悩していた時期と重なる。では、なぜ深い絶望の中にあ……
モーツァルトにとって、オペラ(歌劇)は最も魅力的なジャンルであった。人間の感情を歌で表現することに情熱を抱いていた彼は、生涯で23編のオペラを残している。その13番目に当たる『イドメネオ』(1781)は、『フィガロの結婚』(1786)、『ドン・ジョヴァンニ』(1787)などと並んで、彼の7大オペラに数えられる。歌、演技、その伴奏から構成されるオペラは、1600年ごろにイタリアで誕生し、その後ヨーロ……
「スター・ウォーズ」とは、映画製作者のジョージ・ルーカスが製作した映画から始まり、多彩なメディア展開をされているスペース・オペラの総称である。本組曲はその中でも、映画で使用された5楽曲を組曲として扱うものである。今でこそSF映画は大衆娯楽として広く受け入れられているが、公開当時、SF映画は売れないとされていた。例えば、当時最大のヒット作であったSF映画はスタンリー・キューブリック監督の『2001年……
本作は、映画『ハウルの動く城』(2004)に登場する映画音楽を抜粋したメドレーである。シンフォニック・ヴァリエーション『メリーゴーランド』の名の通り、映画全体を貫くテーマ曲である『人生のメリーゴーランド』を中心に、映画で登場した8つの曲から成る。映画『ハウルの動く城』は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名の小説を原作とし、宮崎駿監督のもとスタジオ・ジブリによって製作された。原作では、呪いで老婆にさ……
『パイレーツ・オブ・カリビアン』は、ディズニーランドのアトラクション「カリブの海賊*1」を元に作られた映画である。舞台は、17世紀のカリブ海のとある港町。美しい娘エリザベスは昔海上でウィルという少年を助け、その時彼が身につけていた黄金のメダルを貰っていた。そんなある日、ブラックパール号を名乗る海賊たちが街に現れ、エリザベスが拐われてしまう。海賊の目的は、彼女が持っているメダルだった。そこで、成長し……
このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。「そりゃスゴイ、お化け屋敷に住むのが父さんの夢だったんだ」と、こんなことを言うお父さんの娘が、小学六年生のサツキと四歳のメイ。このふたりが、大きな袋にどんぐりをいっぱいつめた、たぬきのようでフクロウのようで、クマのような、へんないきものに会います。ちょっと昔の森の中には、こんなへんないきものが、どうもいたらしいのです。でもよおく探せば、まだきっと……
今回は、OrchestraCanvasTokyo(OCT)としては初めて、映画音楽を扱う。そこでまずは「映画音楽」そのものについて考え、その後に各曲の解説を並べる。もちろん、お好きな曲の解説からお楽しみいただくこともできる。物語を創り、演じる。文明の草創期から紡がれてきたこの営みにおいて、「映画」の台頭は大きな転機となった。芸術が受ける時間的もしくは空間的な制約を打ち破ってしまったのだから…スクリ……
ショスタコーヴィチが生まれた1906年は、ロシア第一革命の翌年に当たる。ショスタコーヴィチの一家は革命運動に共感しており、幼少期から彼は常に革命の精神にさらされてきた。「二月革命」「十月革命」(1917)を経てレーニン率いるボリシェヴィキが権力を掌握していく頃、ペトログラード音楽院にて本格的な音楽教育を受け始める。出世作となる《交響曲第1番》(1925)は、作曲科の最終試験で書かれた。楽壇に躍り出……
プロコフィエフはショスタコーヴィチらと並び20世紀ロシアを代表する作曲家である。新古典的楽曲から革新的楽曲まで幅広い作品を残しており、その特徴を一概に語ることは難しい。出身は現在のウクライナ、ドネツィク州の農村であるソンツォフカであり、ロシア革命を受けての亡命や、ソヴィエト共産党中央委員会による雑誌批判に端を発する文化弾圧”ジダーノフ批判”の対象として一部楽曲の演奏を禁止される等、政治的に波乱の生……
《祝典序曲》は、ソヴィエト共産党中央委員会からの委嘱作品として作曲され、1954年11月、第37回ロシア革命記念日の祝典で初演された。本作は、ソ連の政治的転換期の中で発表され、共産主義の祝祭的な雰囲気を纏いつつも、ショスタコーヴィチの胸中に秘められた機微を示唆するものとなっている。本作が発表される前年の1953年3月5日、ソ連の最高指導者であったスターリンはその生涯を終えた。スターリンはロシア革命……
エドワード・エルガーの交響曲第一番は、1908年に完成した。重要なことは、この時点でエルガーがイギリスを代表する作曲家であったということだ。1899年の「エニグマ変奏曲」から1919年の「チェロ協奏曲」までのこの時期は、ベートーヴェンよろしく「傑作の森」とも呼ばれるほどに、エルガーにとって充実していた。その作品群の中でも、交響曲第一番がイギリスにとって、そしてエルガーにとっても象徴的なものだったこ……
この「謎の」作品は、親しい人との戯れに端を発し、やがて彼の運命を変えることになる。エルガーの妻、キャロライン・アリス・ロバーツは、彼の人生に大きな影響を与えた人物の一人である。名家の生まれで8歳年上のアリスは、聡明でロマンチックな、芯のある女性だった。無名の音楽家との結婚に強く反対した家族から勘当されるも、揺るぎない愛情で夫を献身的に支えた。2人の生活を綴った日記の中で、アリスはこう記している。「……
エドワード・エルガーは1857年、イングランド中部にて生を享けた。当世(ヴィクトリア期)のイギリスは、政治・社会双方の面において世界を先導しており、1851年には世界最初の万博博覧会を催すなど栄華を極めていた。他方、管弦楽の分野においては、盛期・後期ロマン派音楽を指導するような作曲家はほぼおらず、民俗音楽に立脚した作品が主流であった。エルガーは、楽器商の父により幼い頃からヴァイオリンやピアノの教育……
チャイコフスキーの旋律美が多くの人々を魅了し続けてきたことは言うまでもない。ある団員が云うには、チャイコフスキーは“音階を音楽に変える天才”だそうだ。確かに彼が生み出す旋律は、音階の要素を基調に多彩な装飾が施されており、息を呑むほどに美しく、哀しく、そして慈愛に満ちている。一方で、赤裸々な感情移入を厭わない作風は当時のロシア人作曲家の中では異色であり、厳しい批評にさらされていたのもまた事実である。……
シベリウスはフィンランドを代表する作曲家であり、フィンランドの過酷な自然や幻想的な民族伝承、住民の厳しく孤独な心を、有機的な構成の中にあってなお感じさせる作風が特徴である。また、ロシアの支配にあえぐフィンランドにおいて、フィンランドの民族叙事詩に基づく作曲等を通じ、ナショナル・アイデンティティの探究に寄与した人物としても名高い。1900年のヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団パリ万博公演での《フィ……
ファリャは、スペインを代表する作曲家の1人である。バレエ音楽『三角帽子』は、稀代のバレエ興行師ディアギレフがP.アラルコンによる短編小説『三角帽子』をもとに手がけたバレエ作品のために作曲された。1917年の初演当初は第一次世界大戦中ということもあり、小規模のパントマイムとして上演された。その後大編成オーケストラ用に改編され、1919年にバレエ音楽として完成に至った。バレエ音楽『三角帽子』は2つの組……
1812年に完成した《交響曲第7番》は、双生児とされる《交響曲第8番》(1812)と同時に非公開で演奏されたのち、1813年に公開で初演された。初演は大成功をおさめ、特に第2楽章は単体でアンコールとして演奏されている。ベートーヴェン自身も本作を気に入っており、ロンドンの興行師ザロモンに向けた手紙の中で、「私のもっともすぐれた作品の一つ」と評した。ベートーヴェンの交響曲は、《交響曲第1番》(1800……