#ベートーヴェンの記事:6件
われわれはみな音楽を必要としている。音楽なしに生きてゆくことはできないのである。本作は1801年から1802年4月にかけて主に作曲されたと言われており、1803年4月5日にウィーンにて作曲者本人の指揮で初演された。重厚さの中に、希望に満ち溢れるような明るさを感じさせる本作だが、その作曲・初演は、ベートーヴェンが聴覚の急速な喪失という困難に直面し、懊悩していた時期と重なる。では、なぜ深い絶望の中にあ……
1812年に完成した《交響曲第7番》は、双生児とされる《交響曲第8番》(1812)と同時に非公開で演奏されたのち、1813年に公開で初演された。初演は大成功をおさめ、特に第2楽章は単体でアンコールとして演奏されている。ベートーヴェン自身も本作を気に入っており、ロンドンの興行師ザロモンに向けた手紙の中で、「私のもっともすぐれた作品の一つ」と評した。ベートーヴェンの交響曲は、《交響曲第1番》(1800……
ベートーヴェンは微笑んだか?交響曲第8番と向き合う時、我々は一見したところ自明とも思われるこの問いを心のどこかに抱くことになる。たしかにこの曲はベートヴェンの九つの交響曲の中でも比類のない明るさと快活さに溢れている。しかしその一方で、交響曲第8番の底抜けな――「笑う交響曲」とも呼ばれるほどの――明るさを感じようとすればするほど、ぞっとするような皮肉が日陰から顔を覗かせることも見過ごしてはいけない。……
『コリオラン』序曲は1807年に作曲された演奏会用序曲である。本作品は、友人の劇作家ハインリヒ・ヨーゼフ・フォン・コリン(1771-1821)の舞台劇《コリオラン》を題材としており、同氏に献呈されている。舞台劇《コリオラン》が描いたのは、ローマの英雄コリオラヌスの悲劇である。数々の武勲で名声を高めていたコリオラヌスは、身分闘争の最中、護民官の陰謀により失脚してしまう。彼は復讐に燃え、かつて敵国だっ……
第7回定期演奏会では、巨匠ベートーヴェンによる3つのオーケストラ作品を取り上げる。ここでは彼の生涯を概観した上で、何が彼を巨匠たらしめたのかについて、オーケストラ史的観点から述べたい。ベートーヴェンは1770年にボン(現在のドイツ西部)で生まれた。当時のボンは、ハプスブルク朝の政治的重要都市として、充実した音楽文化を繁栄させていた。宮廷音楽家たる祖父と父を持つ彼は、幼少期から音楽の素養を深め、バッ……
本作品は概して、ベートーヴェンのウィーンにおける作曲技法修練の集大成と、独自路線開拓の記念碑的作品と言える。初演は1800年4月、当時29歳のベートーヴェン自身の指揮によって執り行われた。彼は本作品を、ハイドンやモーツァルトの作品、自身の《七重奏曲》などを含むプログラムのトリに配して、満を持す形で世に放ったのである。ドイツのボンで生まれた田舎者の青年が、その後作曲家として大成するウィーンに落ち着い……