#第4回定期の記事:3件
《交響的舞曲》は、1940年に完成したラフマニノフ最晩年の作品である。当時の彼は、精力的な演奏活動を通して20世紀最高のピアニストの一人と称えられるようになっていた。一つの演奏会で指揮者・ピアニスト・作曲家の三役をこなすこともあったラフマニノフであったが、本作は最後のオリジナル作品(その後は編曲のみ)であることからも、彼の作曲家としての人生の集大成と言える作品である。ラフマニノフの作品は広く大衆に……
《ピアノ協奏曲第3番》は1909年夏、ラフマニノフが避暑地・作曲地として愛した、モスクワ近郊のイワノフカの別荘で作曲された。当代最高のピアニストでもあったラフマニノフが、初の訪米演奏会に向けてそのヴィルトゥオーゾの粋を集めて作曲した本作は、世界で最も難しいピアノ協奏曲の一つとして名高い。本作の献呈を受けたヨゼフ・ホフマンが演奏できなかったことや、ウラディーミル・ホロヴィッツやヴァン・クライバーンと……
近代社会の到来と共に芸術のあり方が四散していった20世紀初頭、作曲家として円熟期を迎えていたセルゲイ・ラフマニノフは、交響詩《死の島》(1909)を発表した。ラフマニノフは当時絶大な人気を博していた同名の絵画に薫染され、その死生観の彼方に本作品を創造した。一枚の静止画から管弦楽作品へ、静と動、光と音を紡いだ標題を紐解いていく。本作品の題材となったのは、スイス人画家アルノルト・ベックリン(1827–……